軽い食事と重い食事

軽食は意外と軽くない

アーユルヴェーダでは体に毒素をためないためには、食べたものが十分消化できていることが大事だとしています。

この消化しやすいかどうかの観点で、軽い食事=消化しやすい食事、重い食事=消化に時間がかかる、または消化に負担がかかる食事というように分類しています。

しかし、”軽い””重い”という表現では間違えて受け取ってしまう人も多くいます。

例えば、一般的に軽食といわれているサンドイッチやパスタは、アーユルヴェーダ的には”重い食事”ですし、おやつや朝ごはんの定番のヨーグルトも”重い食事”になります。

その一方で、ヨーグルトは同量以上の水で割って岩塩などを入れ、バターミルクとして飲むのであれば”軽い”とされています。

アーユルヴェーダの古典スシュルタサンヒターでは、食事の軽い、重いについて次のように述べています。

食物の軽いか重いかは、先ずその自然性に従う。しかしそれは物質の自然性よりも調理法により多く従う。調理法より摂取の分量により多く従い、分量よりも食物自身に、また食物より(成熟)の時期により多く従う。スシュルタサンヒター 第1巻総論編 第46章

  自然性 < 調理法 < 摂取量 < 食物自身 < 食物の成熟の時期 の順で食事の重い・軽いが決まると言えます。

つまり旬のものであるか、充分熟しているか、熟し過ぎていないかということが一番関係するということでしょうか。

食物の軽い重いの問題は、怠け者、不健康者、贅沢者、虚弱者及び食思不振者に影響するのであって食品の性状のかかる微妙な区別は、活動性習慣と健全な食欲を持つ、強壮、健康者であって、堅い固形の食物を常用し、かかる考えを全くなしで済ますことに耐えうる人には、命令的に必須ではない。スシュルタサンヒター 第1巻総論編 第46章

消化しやすさを基準に軽いか重いかとしているので、そもそも高校野球児のように年齢的にも体力的にも活動量的にも消化力が物凄く強い人は、消化重性のものでも消化できるので、あまり気にしなくていいということです。

一方で、運動不足の人、不健康な人、虚弱な人、食欲のない人は、消化力が弱い人になりますので、こういった人は食事が軽いか重いかを考えて摂らないと消化不良を起こす可能性が高くなります。

前の食事のために食欲が鈍麻されている時は同じ日に第2食をとってはならず、前回の食事が部分的に消化されていない時に食事をすることは消化機能を著しく害する。食欲が鈍か害されている人は重い食品は避けるべきであり、軽い物質も大量にたべてはならない。菓子は決して食べてはならない。 スシュルタサンヒター 第1巻総論編 第46章

古典によると食べ過ぎで次の食事の時食欲がわいていないような時、前の食事が消化されていないと思われる時は、次の食事を摂ってはいけないとしています。また食欲がにぶいか食欲が害されているときは食事を消化しやすいものにして、お菓子はNGとしています。ご飯が食べられないからお菓子だけ食べるというのはやめましょうということです。

もし飢えているため食べた場合は、2倍量の水をのむべきで、それによって消化の安全が期し得られるのである。飲料、舐め剤、および菓子(固形品)の内、この順で後のもの程先立つものより重い。重い食品は普通の半量だけ摂るのがよく、軽い食品は飽食まで摂って構わない。スシュルタサンヒター 第1巻総論編 第46章

お腹が空き過ぎて食事を摂る場合には水分をしっかりとることで消化がしやすくなります。飲み物 < 舐め剤 < 菓子 の順で消化には負担がかかります。消化に重い食事は普通の半分程度にして、消化が軽いものであれば十分にとっても構わないでしょうとしています。とはいえ、アーユルヴェーダでは胃の容量の1/3を固形物、1/3を液体、1/3はスペースを残しておくようにと言っていますので、マックス食べても腹6-7割くらいということになります。

液状の食物または水気の多い食物は多量にとってはならない。乾燥した食品は多くの種類の他の物質とともに食べれば胃に害をなすことはない。乾燥食品を単独でとれば完全に消化されない。胃の中で多くの塊となり不規則に灰汁となって消化の不足を起こしその結果酸性反応を生ずる。乾燥食品、不適合の食物の摂りあわせ(乳と魚など)、また永く不消化のまま胃の中に留まるものなどは消化機能を害する傾きがある。スシュルタサンヒター 第1巻総論編 第46章

ここでは液体の食べ物、乾燥した食べ物の摂り方について書かれています。興味深いのが乾燥食品を単独で摂るのは消化不良になるとしている点です。現代人は、パンだけ、おやつにリッツ、クッキー、シリアルとパサパサなものだけで摂りがちですが、これは注意が必要ということになります。